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第6回 フェミ勉 課題図書「HER」と「愛すべき娘たち」

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第6回 フェミ勉 課題図書「HER」と「愛すべき娘たち」

主催者によれば、今回漫画を選んだ理由は、スピヴァク読解から見えてきたシスターフッドへの懐疑を問い直すためということ。
HERに対しては、リアルな時代的感性(ファッションセンス、嫌な男等)を読み取った人が多く、年齢に応じた同調圧力や自意識を息苦しく感じ理解の限界を人もいた。後述の愛すべき娘たちと比べて、作者の出自が庶民派であるためか、エネルギーに満ちた女性に焦点が当たることも多い。すべての厄災は母親に由来するという言葉がキーとなっているということで一致。議論は実際の母と娘の関係に移ったので、男性陣しばらく沈黙して拝聴。
1.母親と娘の議論
父親の不在と母親との葛藤のない関係が描かれている。実際にはドライでありながら、子供を自らの投影とみなしていたりするアンビバレントな側面がある一方、一時期は完ぺきにも思える存在でもある。
父子関係と母子関係の違いは、父親は成長することで殺すこと(相対化)ができる存在であるが母親は殺すことができない。しかし一度は殺しつくすことを志すべきである。
他人も母親との葛藤を抱えていたと知ること自体に、安心感を覚える。
密着型の母親像と放任型の母親像の乖離は、父親と子供の関係に影響される。
愛すべき娘たちの母子家庭や虐待のケースにおいては、父親の存在は影ながら大きな役割を担っている。
母と娘の距離が適切でない場合、父親と母親の関係に問題がある場合がある。
母親は娘に認められたいと思うのでは?
父親不在の物語は、大人になりたくない読者の気持ちを反映する。
大人になるということは、大人になるということに拘らなくなることなのかもしれない。
大人になれば服装も自由になれるが、長子であることの責務等ものしかかってくる。
2.閉鎖的な地域社会や家父長制の「呪い」についての議論
祖父母世代と比べて、社会情勢の変化等あるが、基本的には目に見えない形で(例えば経済的な問題、「分骨」は是か非か、介護の担い手問題)に存在している。血縁関係の難しさ
シスターフッドは血縁に依らない。
キブツやミクロネシアの例も一種のシスターフッドではないだろうか。
しかしここで問題なのは、家父長制ももともとは相互扶助の枠組みだっただろうということで、今それが抑圧的になっているのは単に時代に合わなくなってきているという相対主義だろう。
抑圧的な側面は、例えば血縁関係は替えが効かない分、失敗すると取返しがつかない。
例えば良い嫁であろうとすることといい母であろうとすることは矛盾する。
結婚する目的は子作りであるなら、出産に数十万もかかるのはおかしいので、出産に合理的根拠はなく、少子化の現状もまた必然なのかもしれない。
3.階級としてのHER。
這い上がるエネルギーはカーストによって違う。
バイトでグランドピアノを買った人と比べて、親のお金で大学に行った自分は、人間的に弱いのではないだろうか?という疑問。
一方でHERケース5の貧しい家庭に育った主人公は、生活も心もゆとりがある女性に対して劣等感を抱いている。


感想
以上がフェミ勉で話された内容で、メモできた部分の要約です。
1~3の部分はそれぞれ別の問題提起をしているとともに、同じ問題について語っていますが、特に興味深く思うのは、2の「キブツやミクロネシアの事例も、いずれは現在の家父長制のように抑圧的になるのでは?」という疑問を全員が共有していた点でした。
この漠然とした問いは、シスターフッドそのものへの懐疑というより、よくある類の現代社会への懐疑なのでしょう。
いかにしてこの懐疑を超えたところに、シスターフッドを見出していくかが今後、問われていくのだろうと思います。
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