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まとめ

第7回 フェミ勉 レジュメ 4.5章 

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第7回 フェミ勉 レジュメ 4.5章 

第4章
スピヴァクがフェミニズム思想に行った貢献の一つとして、「第三世界女性の現実の歴史と生活」を女性の闘争に組み込んだ点にある。
とくに「フェミニズムとはあらゆる女性のために語るもの」と言明したことは、フェミニズム思想の再考を促した。
第1・2世代「自由主義ヒューマニスト思想は女性を他者として規定し、女はヒューマニズム主体である男より劣るとし、男女の違い生物学的な根拠に基づく自然な事実として定義してきた」
ボーヴォワールいわく「ひとは女に生まれるのではない。女となるのである
「ジェンダーとは社会的構築物であるがゆえに、社会的・政治的闘争によって抗うことも可能である」
ただボーヴォワールはジェンダーに関する科学的説明を問わなかった。
女とはスピヴァクにとって 男(家父長制、家族、国家、法、教育、メディア)に依存するものである。
女の理論を詰めていくには、男のことを考えれば十分というイリガライという先行者がいる。
2項対立に陥らないスピヴァクの戦略的本質主義=子育て労働という視点から母親を主体として認めていない西洋マルクス主義フェミニズムに疑義を突き付けている
スピヴァクのクリステヴァへの批判は、フェミニストは第三世界の無力な女性に学ぶ必要があるという警告であり、中国の女たちという本への批評に表れる。
時と空間の深淵を超える努力をしない、自己中心性(主体である探究者に批評の焦点が置かれた状態)に対し、スピヴァクが描くのは女性のセクシュアリティの地理学である。
女性の身体の過剰さを示しているのがクリトリスの刺激による性的絶頂ではなく、がんであるということを乳を与えしものは、西洋フェミニズム=クリトリスによる絶頂と相反する。
クリティカル・インクワイアリーにおける創作された言説と社会組織や政治権力をめぐる言説の壁を壊す試みとして三人の女性によるテクストは、ジェーンではなくバーサ(認知されない他者)に焦点を当てる。
女性の身体を私的所有物として定義することが女性主体構築の一般条件であり、クリトリス切除とも類似する問題は、西洋フェミニズムが帝国主義と共犯関係にあることを暴露している。

第5章
スピヴァクは女性の経済的搾取を国際分業と関係づけ、マルクスはポストコロニアルな状況でも引き続き重要であると証明しようとする。
スピヴァクがマルクスを重視する二つの理由は
①マルクスの初期ユートピア思想への批判は脱構築と見える
②デリダがマルクスを誤解していた
ドゥーロティの虐げられた死体は債務労働や売買春に基づく旧来型の搾取形態であり、国際的分業でもある。
価値の問題の決定項は、主体をどう記述するかであるが、近代の主体概念によれば意識によって述語的に規定され、唯物論的述語規定では、労働力が決定項となる。
主体は受動的であり、人は自分自身を構築することができない。
社会的労働分業によって起きる人間主体の疎外は資本主義に内在する構造的矛盾であり、いずれは資本主義の自己破壊につながる。
→ソ連崩壊により誤りとされるが、国際的分業への示唆まで放棄してしまってもよいのか。
第三世界が第一世界の富と文化的自己表象の可能性を産出している
→マルクスの労働価値論の再評価
マルクスの商品分析の中で重要なのは、使用価値が理論化されていない点である。
ある商品の使用価値は、その物体の内在的特性や使用価値によって決まるのではなく、交換価値(ナイキの商品イメージ)から使用価値(労働状況)を抽象的に抜き出す
→マルクスにとって人間の労働は労働者と資本家との間の矛盾の集約点だが、スピヴァクにとっては、不確定性の可能性として、交換と資本の流通の空間のための身体となっている。
マルクスの欠点である経済決定論の視点から、アイデンティティがイデオロギーと言説によって形成される仕方への考察へ移る。
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